2016/10/03 21:19

これは、最澄さんが、天台法華宗年分縁起に書いているものらしいですが、読んだだけでは分かりませんでしたが、解説を知りこれぞ求めていたものだと探し当てました。現代の教育やコーチングにもつながるものです。

引用要約
-----
「羅」とは、網のことで、網で鳥を捕らえようとしても網の目がひとつだったらつかめることは不可能です。鳥がひっかかるのは、確かに一つの目の部分であるが、何百もの網の目が互いに結び合い、広がっているからこそ、鳥を捕らえることができる。沢山の繋がり合った目がなくては、網としての用をなさない。
-----

現代、教育界なども、社会状況により非常に厳しい目で監視されております。効率化や平等という名の下に、画一化され、教師の子どもたち一人一人に向き合う姿勢というのも難しくなってきているのではないでしょうか。教師という、一つの網の目に丸投げすることなく、大人、社会、おっちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんという多くの網で、子どもたちをすくい上げ、持ち上げることができればよいなあと。

その網の一部にラグビーやスポーツ、コーチがしっかりと役目を果たせば、価値が生まれるのではないでしょうか?