2018/05/19 21:25
日本のスポーツ界の構造不全なところは、絶対的な監督という存在を頂点にし、コーチが従い、プレイヤーが従うという構造になっているような感じです。「統一感」や「一体感」などといえば、聞こえもよく、競技の標語にもなっていることがあります。
「絆」きずなと書けば、結束力が固いとも捉えられますが、この「絆」という字の意味は、「ほだし」といい、「犬・馬・鷹などの家畜を、通りがかりの立木につないでおくための綱。しがらみ、呪縛、束縛の意味に使われていた。」そうです。
ここで問題となるのは、絶対的な存在です。その絶対であるが故に、かりに間違ったことですら、従うことを要求する場合です。その命に、反すれば、コーチであるなら、職を失う可能性があり。プレイヤーは、ゲーム、チームから排除されます。逆に、従うのであれば、信念を失うことになります。あるいは、思考を麻痺させて、命令に従うだけとなります。高尚な標語も、一瞬で従わすだけの束縛用語の何ものでもなくなる可能性があり。
絶対的である監督は、権力を笠に「従うも地獄、従わずも地獄」というような組織構造を作らないように心を配らなくてはなりません。(校則や、ルール等が、悪いとはいっていません)絶対的なものが、日本風にいえば、風通しのよい、今風にいえば、レジリエンス、適応出来る権限を移譲しても大丈夫な組織構造が一つにはよいと思われます。
そのことが、日本のスポーツ界、スポーツ界から輩出される人材の成長、成功に大きく寄与するところであると考えられるのではないでしょうか!

絶対的である監督は、権力を笠に「従うも地獄、従わずも地獄」というような組織構造を作らないように心を配らなくてはなりません。(校則や、ルール等が、悪いとはいっていません)絶対的なものが、日本風にいえば、風通しのよい、今風にいえば、レジリエンス、適応出来る権限を移譲しても大丈夫な組織構造が一つにはよいと思われます。
そのことが、日本のスポーツ界、スポーツ界から輩出される人材の成長、成功に大きく寄与するところであると考えられるのではないでしょうか!
